一杯のコーヒー

母が居酒屋を始めたのは今から50年前でした。

昨日の続きです。

今では考えられませんが、当時は権利金というのがあり、ビルのオーナーだか誰に払うのか知りませんがそれだけで2000万円、それと前の店舗経営者に支払うお金が数百万円、それからやっと敷金だ保証金だ礼金だ内装費だとなる訳で、合計するととんでもない金額ですよね。

28才の小娘に銀行もよく貸したなと思いますが、上記の金額が回る時代ですから銀行もどんどん貸してたんでしょうね。もちろん金利も高い時代ですから返済額もすごい訳で、昨日の大根の葉っぱ丼を主食にがんばってたわけですね。

その後、僕が産まれて、小学校に上がるくらいには借金は完済していましたが、それでも当時の癖が抜けず大根の葉っぱ丼と(いや、癖と言うよりはまたいつお金に困るか分からないから使えなかったのでしょう。今ならその気持ちが痛いほど分かります。)薄い水色になってしまったジーパンを毎日履いていました。

そんな母が、借金返済時代の唯一の贅沢を語ってくれました。

「毎月銀行に借金を返しに行った帰りに、喫茶店で飲む一杯のコーヒー、これが月に一回の楽しみだった。」

て、銀行に現金で持っていくの!

それはさておき、母はお酒が飲めませんのでコーヒーを趣向していて、月に一回の楽しみがそれでした。

そんな話を幼少期から聞かされたら、しかも焼き鳥を一本一本、仕込みで刺しながらそんな話を聞かされたら「お金を稼ぐのって大変なことだな」て思ってました。だからサービス業で店員の対応が悪いと「なんていうもったいない時代になったんだ。」と悲しくなりました。だから、今のこの人がいない状況、良い戒めです。

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